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51日目 10月29日(土) 愛媛県松山市~岡山県岡山市 福山城

ホテル(というか相部屋)で起床し、本州に戻るため今治市へ向かう。

今治市はタオル・鉄板で焼く焼き鳥が有名であるが、もう一つ名物があるらしい。
それがこれ↓

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焼豚玉子飯である。
ご飯にチャーシューと目玉焼きを載せたシンプルなものだがこれがうまい。
THE B級グルメ。
ちなみにこれは大盛りで、右の10円玉と比べてもらえればいかに大きいかおわかりいただけると思う。

この後は四国に渡ってきた時と同じく、しまなみ海道を通り広島県尾道市へ戻る。
そしていよいよ本州に戻りゴール長野を目指す。

城巡りも忘れてはいけない。
福山城に到着。
福山城は関ヶ原の戦いの後、徳川家康の従兄弟である水野勝成が築城した。
一国一城令が出ていたのにもかかわらず新規築城された城であり、西国の外様大名(毛利氏など)の押さえとして期待されていた。

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そして夕飯は福山に来る度に哲太さんが連れていってくださるお好み焼き・吉甲へ。

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相変わらずうまい

この日は岡山市のカプセルホテルで泊まることに。
カプセルホテルというものに生まれて初めて泊まったが、上のカプセルになると登るのがしんどいということがわかっただけ収穫であった。
鷲羽山荘の2段ベッドを彷彿とした。



おまけ
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テキーラ頼んだら灰皿で出てくるんですね、わかります
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52日目 10月30日(日) 岡山県岡山市~岡山県岡山市 鬼ノ城・備中松山城

カプセルホテルの大浴場で朝風呂をし出発。
この日も雨・・・

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今年の甲子園で旋風・関西高校

まずは備中高松城址へ。
備中高松城は毛利家の名将・清水宗治の城であり、羽柴秀吉が水攻めをした城である。
水攻め中に本能寺の変が起こり、秀吉は急いで京都へ向かわなければならなくなった。
そのため早々に戦を終わらせなければならず、宗治が切腹すれば城兵の命は助けるという条件を出し、宗治はそれを呑んだ。
宗治は船の上で切腹し、秀吉も急がなくてはならないにもかかわらず、宗治の死に様を見届けたという。

自分はこの清水宗治という武将がとても好きである。
そのためこの場所に寄ったのである。

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宗治の辞世の句
浮世をば 今こそ 渡れ武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して

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宗治の首塚。線香をあげた。

次に鬼ノ城へ。
鬼ノ城は古代の城であり、大野城のようにかなり大規模な城であったらしい。

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復元された西門

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そして次は備中松山城へ。
備中松山城は高取城・岩村城と並び日本三大山城に数えられ、天守は江戸時代のものが現存している。
三村元親の城であったが、毛利氏の小早川隆景に落とされ、江戸時代には城主がめまぐるしく変わった。

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駐車場から軽く登山。

そして岡山市のホテルへ。
実は兄が使わなくなったiPhoneを父に譲ったのだが、それをこの旅で貸してもらうことになり、このホテルに送っておいてもらったのだ。
無事届いており、SIMカードを移し、無事iPhoneが復活した。

53日目 10月31日(月) 岡山県岡山市~兵庫県姫路市 岡山城・津山城・赤穂城

岡山市のホテルを出発し、岡山城へ。

岡山城は戦国時代には宇喜多氏の本拠であり、関ヶ原の戦いの後、西軍の主力であった宇喜多秀家が八丈島に流刑となり宇喜多家は改易となり、寝返りにより東軍の勝負を決定づけた小早川秀秋が入城する。
しかし秀秋はわずか数年後に20代前半の若さで亡くなり(秀秋の裏切りにより死んだ大谷吉継のたたりとも言われる)世継ぎがいなかったため、姫路城主・池田輝政の子が岡山城に入り、以後池田家の居城として続くことになる。

余談であるが秀家は八丈島で83歳まで長生きする。
さらに大河ドラマ・功名が辻で秀家を演じたのはonちゃんこと安田顕である。

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復元された天守

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その黒い城壁から烏城(うじょう)と呼ばれる。
同じように黒い松本城は烏城(からすじょう)と呼ばれ区別される。

天守のチケット売り場でスタンプをもらい、城の中を見学しようと思ったらなんと入場料が800円!
正直城の中身などほとんどどこも大差ないし(他の城の天守の写真が飾ってあったり、鎧や兜など藩にまつわる物の展示)現存天守ならまだしも復元天守にそこまで出す気にはならず退却。(あの大阪城ですら600円なのに)

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そして津山に移動。
道中、かばくろという店で岡山名物・豚蒲焼を食べる。
これはうな重のうなぎを豚肉に変えたようなものである。
うな重のタレだけでもご飯を3杯いける自分にとって最高の料理であった。

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んまいよ

そして津山市に到着。
津山といえばどうしても津山三十人殺しを思いだしてしまう。
詳しくはリンク先で読んでいただきたいが、日本にもドラマや小説よりも奇な事件があったのだ。

しかし実際訪れてみた津山市にはまったく暗い雰囲気はなく、小京都にふさわしい歴史的な街並みがあった。
津山城は高い石垣の上にあり、かなりの存在感だ。

津山城は1603年に森忠政(織田家の家臣で槍の名手・森可成の子であり、本能寺の変で信長と共に散った森蘭丸の弟)が津山に入り、13年の歳月をかけて完成させた城である。
築城当初は5層の天守閣があった。

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復元された備中櫓

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見事な石垣

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森忠政像。イケメンに造られる像が多い中、こちらはなかなかコミカルに造られている。

ちなみに津山の名物はホルモンうどんらしかったが、豚蒲焼がなかなか食べごたえがあり今回はパス。
岡山の4城はこれで全て回ったので、次は兵庫へ。

赤穂市に入る。
言うまでもなく忠臣蔵(赤穂浪士)の地であり、赤穂城は100名城の1つに数えられている。

赤穂城は加里屋城、大鷹城という前身を経て、浅野長直(豊臣家の五奉行筆頭・浅野長政の孫)が1645年に入封し、近世城郭である赤穂城を15年かけて完成させた。
そして長直の孫である浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩が江戸城内で吉良上野介(こうずけのすけ)義央を斬りつける事件が起こり、浅野家は改易となる。

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復元された本丸表門

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赤穂城内には大石内蔵助(くらのすけ)良雄ら赤穂浪士を祀った大石神社がある。

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大石神社の前には47人の浪士たちの像が並ぶ。

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像の寄進者の名前は浪士と同じ名字の人が多かった。おそらく子孫なのであろう。

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大石内蔵助良雄像

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内蔵助の息子・大石主税(ちから)良金像。浪士最年少であり享年16歳。

昔大学の卒業式でこの主税の辞世の句を引用したすばらしい学注をした先輩がいた。
自分もあんな学注をしてみたいものである。

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高田馬場の決闘でお馴染み・堀部安兵衛

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忠臣蔵きてぃ。49種類。えげつねえ商売しますな。

そしてこの日は姫路市のホテルで一泊。
プロフィール

satto

Author:satto
長野県上田市出身、在住。

2011年9月~11月にSUZUKIアドレスV125で日本100名城を巡りつつ沖縄を除く46都道府県を通り日本一周達成。

2013年3月2日、日本100名城スタンプラリーを制覇。
日本城郭検定準1級取得。

サザンオールスターズ、水曜どうでしょう、阪神タイガース、日本史(戦国時代、幕末)が好き。

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